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眠り。

私の身体は
もうくたくたに
疲れ切っているというのに
今にも眠ろうというベッドの上で
残酷なほど鮮やかに
甦る記憶たちがいる。

そしてバカなことに
一つ一つそれを辿る私がいる。

めまぐるしい毎日の中で
ポッカリ空いたそういう瞬間
私はいつも
めまいを覚える。

今まで歩いてきた道や、
おびただしく流れた血や、
痛みさえも全て、
歩く力に変えるために
私は19年間の一日一日を
誇りにしようとしてきた。

何一つ後悔で終わらせないために
今の私が存在するための
「過程」たちを、 
一つ残らず
手首に刻んできた。

両手に抱えきれないものは
背中に背負って
それでも歩いてきた。

むき出しの肩に食い込む
記憶たちに押しつぶされても、
それが私の
生き方だと想ってきた。

心から愛した人がいた。
私を抱いてくれた人がいた。
狂おしいほどの時間があった。

耳を澄ませば
息づく生命の予感があった。

優しい嘘が零れて川を創った。

深くうねる海の上を
私は何度も飛んだ。

残酷なほど鮮やかに甦る記憶たちは、
私が私であるための
大切な誇りだと想ってきた。

でも時々
私は全てを忘れたくなる。

今まで歩いてきた道も、
その足跡も
流した血のにおいも
その色も
全てが跡形もなく
消えてしまえばいいと、想う。

私の生まれた土地や
育った街や
愛した人の記憶からも
消えてしまいたいと、想う。

私の両腕を離さない、
残酷な記憶たちから
逃れたいと願う。

だから私は、
ひたすら歩いて、歩いて
疲れて疲れ果てて、
そして眠ろうとする。

でも「眠り」は、
私を休めようとしない。

人間が忘れた出来事は
きっと沢山あって、
時間が洗い流した脳裏の記憶も、
きっと沢山ある。

私達の脳は多分小さい。

時間の流れの中に漂う
小さな砂でしかない。

私が抱えきれずに、
落としてきた記憶は
想っている以上に
きっと沢山ある。

その拾い損なった記憶たちは、
気付かないうちに
私の体が覚えてしまっていたりする。

体と脳を休めても、
深い眠りに沈もうとしても、
残酷な記憶たちは
私を離さない。

ひたすら歩いて、歩いて
疲れて疲れ果てても
「眠り」は、私を癒そうとしない。

私はいつの間にか
想い出に支配されて
磔にされていた。  

今にも眠ろうというベッドの上で
私は枕元のぬいぐるみを抱きしめて
それを壁に投げつける。

倒れた写真立てを
床にたたきつけて、
手当たり次第の物を
ベランダから投げ捨てる。

そしてタバコを吸う。

お風呂にお湯を張って
ろうそくを灯し
泡風呂につかる。

裸のまま冷蔵庫を開けて
何か食べるものを作り
くだらない深夜番組を見て、
カーテンの向こうで明るくなっていく、
空の気配を気にしながら
髪をとかす。

一体どれぐらい時間がたって
どれぐらい愛されて
どれぐらい抱かれたら
ゆっくり眠れる夜が来るのだろうと、
想う。

いつまでも歩き続けたら、
休んでもいいのだろうと、
想う。

きっとみんなが、
笑いながら
同じことを祈っている。

雑踏の中で
一つ一つの足音が
きっと同じことを祈っている。

それでもまた
夜が来て朝になる。

静かな朝凪の中で、
「記憶」を「祈り」に変えて、
歩き出す誰かのにおいがする。

私は目を閉じて、
私を解放してあげたいと祈る。

私は眠ったふりをして、
私を逃してあげたいと願う。

残酷な記憶たちから
放してあげたいと、想う。

赤裸々な傷跡たちを
消してしまいたいと、想う。

ちぎれた乳房に
暖かなスープを
かけてあげたいと祈る。

遠い昔、
家族と暮らした部屋が
なくなることになった。

愛した記憶と
愛された感触と
あの頃のにおいの宿る空家が
なくなることになった。

荷物を何一つ持たずに
飛び出した部屋には、
私を苦しめる記憶たちが
ひしめき合っている。

全てを閉じ込めてきた私の部屋には、
壁の落書きと
愛しい想い出たちと
愛したものと
愛されていた証と
狂おしいほどの時間が
まだ私を待っている。

大切にしていたその部屋の鍵を
失してしまった今も、
抱えきれずに
背負った記憶の全てが
そこにまだあって、
私が帰るのを待っている。

手首に刻んできた「過程」たちが
むき出しのまま
血を流して
私を待っている。

何度、蓋をしても
この腕をつかんで離さない
19年間の「誇り」たちが
私の髪をわしづかむ。

そして、私を眠らせてはくれない記憶たちが
痛々しく腫れ上がっていく。

私は私のために
あの部屋に帰らなければならない。

もう潮時なのだろうと想う。

背負ってきた全てを
歌に変えて、
吐き出し、
そしてそれを誇りにして
生きていく道を選んでも、
体から溢れ出て、
こぼれ落ちる痛みたちには
とても追い付かない。

体中からポロポロこぼれ落ちる、
鮮やかな記憶たちを拾い集めて、
眠ることさえ忘れる私を
もう許してあげたい。

もう放してあげたい。

この手で、
残酷な記憶たちを
遠くへ放してあげたい。

全てを燃やして
許してあげたい。

私はもっと、
自分を許してもいいと想う。

人間はもっと、
人間を許してあげてもいいのだと想う。

多分、許すことは忘れることで、
忘れることは生きることなのだから。

そしてゆっくり
ゆっくり眠ればいい。

明日、目覚めるために
眠ればいい。
全てを忘れないことが
誇りとして残るのではなく
繋ぎ合わせた毎日を越えて 
今、ここに存在するだけの自分だけを
誇りにしてもいいのだと想う。

嘘の綴られた手紙も、   
幼い足跡も
開いたままの本も
足踏みしている温度も、
全てを、
もう許してあげたい。

そんなふうに、
全てを焼いて
土に返して
部屋の鍵を失くしても
それでも私は
体に刻まれた記憶を忘れることなど
できるはずがないのだけれど。

それでも時々、
私は全てを忘れたくなる。

もし、あなたが
私を覚えているなら
私を忘れてほしい。

もし、あなたが
私を愛していたなら
私を忘れてほしい。

眠ったふりをして
私を逃してほしい。

眠ったふりをして
私を遠くへ放してほしい。

眠ったふりをして
私もあなたを逃してあげる。

ぐっすり眠ったふりをして
あなたを放してあげる。

この腕を離さない記憶たちを
もう許してあげましょう。

この肩に食い込む想い出たちを
もう放してあげましょう。

むき出しの痛みたちを
もう放してあげましょう。

そして全てのことから
私を遠くへ
遠くへ放してあげましょう。

全てがゆっくり
ゆっくり眠りにつけるように。

眠れぬ夜に泣かないように。

森の奥深く
静かに静かに眠れるように。

あなたと私が眠れるように。

許すことは忘れることで
忘れることは生きることなのだから。

眠り、そして目覚め
これからも歩いて行くために
記憶たちを忘れてあげよう。

私を癒してあげよう。

残酷なほど愛しいあなたを
もう許してあげましょう。

冬の空に放してあげましょう

そして罪深い私を
もう眠らせてあげましょう。

安らかに、
目を伏せて、
眠らせてあげましょう。

今にも眠ろうというベッドの上で
私は
めまいを覚えながら
静かに
祈る。


こっこ。


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by atownidiot | 2006-10-11 20:41 | 読む